お久しぶりです。毎日30件弱のアクセスがあったのに一ヶ月まるまる更新していなくて申し訳ないです…!

ブログの設定いじってたらなぜか「下書き」のまま未投稿になっていた記事を発見したので投下してみます。ちょっと昔のネタだけど。



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ついったーから自分の発言を一部抜粋。


さっきの本人が既に亡くなったTwitterアカウントを見て思ったこと。
posted at 02:22:56


昔の人は偉大な功績を築いて初めて様々な媒体に記録され、後世の人々に認知される。一般人の場合だと、その死はせいぜい親族や親しい友人にしか伝わらず、媒体といえば新聞の片隅や戸籍などにしか記録されない。これは現代でもほとんど変わらない…「その人が何をしてきたか」が後世に伝わらないのだ。
posted at 02:26:39


...しかしインターネットの出現、個人が無償で利用できるリソースの増加により、私達はblogやfacebook、twitterなどのツールでいとも簡単に生存の記録を残すことが可能となった。facebookでは死亡確認が出来た場合はアカウントを「追悼バージョン」に移行させるという。
posted at 02:29:50


以前故人のアカウントはどうするのか?って記事を見かけてポストしたのですが、ちょっとどこにあるか分からない…
posted at 02:35:45


Facebookに「死亡通知」機能がつきました http://blogs.itmedia.co.jp/burstlog/2009/10/facebook-88b5.html
posted at 02:36:17


ネット上の「著名人」に万が一のことがあればすぐに親族の手によって報告がなされる、というケースも増えてきたように思います。下手すればリアルの友人よりネット上の知り合いのほうが早く訃報を目にすることだって出てくるでしょう。
posted at 02:40:05


…それはいいとして、私達一般人が残すテキストベースのデータは本当に「生きた証」となるのだろうか、という疑念が生じる。挨拶やコピペ、ニュースサイトへのリンクといった情報は、死に向かう患者の心電図やカルテとなんら変わり無い。果たして、本人亡き後にそれらにどれだけの意味があるだろうか?
posted at 02:48:24



…と、ここまでが過去の自分の発言の抜粋です。
なんだか自分が書いた文章に見えないぐらい真面目なこと書いてますね!(


続きをちょっとだけ。


テキストベースのデータが後世に残ったとき、生きた証となり得るか…おそらくなりえない。
膨大な情報が日々生産され消費されていく現代において、ブログのようなテキストデータは微少な存在だ。そして情報の氾濫というのは時代が進むにつれてその規模を大きくしていく。個人が開設したブログが後世に残ったとしても、それは新たに生み出された圧倒的情報量の前に霞んでしまうだろう。

たとえば、墓石を見てほしい。
そこには故人の名が刻まれているけれど、それを参拝する人は九割九分その人の家族、子孫たちだけだ。著名なアーティストだったなら熱烈なファンが訪れることもあるかもしれない。けれど墓石自体には何の情報、価値はない。あくまでそれはその人の存在を証明する物体に過ぎない。
当然墓石は増えていくことはあっても減ることはない。書き手亡き後のブログは墓標そのものではないだろうか…




たしかに自分が死んだときに後世に何を残せたか、というのは大事だと思う。死んでしまったら自分には一切関係のない話だけれど、死人に口なし、後世の人々は自分が生前やったことを基に評価を下すしかない。


でも、それよりも大事なのは「残す」こと自体より記事を書くことでどれだけ人々に影響を与えられたか、ではないかと僕は思う。存在そのものよりもそれが記事を読んだ人それぞれの胸のどこかに刻まれて、その人の後の人生に影響を及ぼすことが真の価値を生むと思うのだ。


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おわり。
ごめんなさい、途中から深夜4時のテンションで書いてしまったのでちょっと後悔している、でも(自分の心中にある考えと)だいたいあってると思う。

ちょっとだけ書き足しておきたいことがある。これから下は完全な私見だし本筋からかけ離れたもの、でも言っておきたいこと。


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真の価値はどのようにして生み出されるのか。

残念ながらそれはブログのアクセスカウンターのように定量化できる代物ではないし、影響を受けた本人に対して「どの程度影響を受けたのか、あなたのどの行動に反映されているのか」と訪ねても答えは返ってこないだろう。今まで得てきた知識や経験の集合によって人は行動する。

ともかく僕は少しでも多くの人に影響を自分を知ってもらい、少しでもいいから影響を与えたいと思いながらブログを書いていることに間違いはない。

だから、チラ裏じゃなくてインターネットに、全世界に開かれているここで記事を書き続けようと思うのだ。